おもひで写真観

おもひで写真観 まちはミュージアムの会『唐津城下・おもひで写真観』 唐津の城内~内町・外町地区は、今も江戸時代からの町割りや面影が
随所に残る場所で、その風情が伝わる写真も数多く存在します。
「唐津城下・おもひで写真観」は、そんなレトロな写真たちの
撮られた時代を推察し、また現代と比較しながらご紹介する試みです。

【第11部】その75.今より東側にあった旧唐津駅唐津の鉄道は1894(明治27)年に、唐津炭田の石炭を唐津港へ輸送する目的で発展しました。1898(明治31)年に唐津駅が開設し、大正期に順次拡張され1935(昭和10)年に山本・伊万里間が開...
21/08/2026

【第11部】その75.今より東側にあった旧唐津駅
唐津の鉄道は1894(明治27)年に、唐津炭田の石炭を唐津港へ輸送する目的で発展しました。1898(明治31)年に唐津駅が開設し、大正期に順次拡張され1935(昭和10)年に山本・伊万里間が開通し、現在のJR唐津線と筑肥線が全線開通となりました。
 大正末期の唐津駅舎は今より東側、現在の駅構内店舗前の駐車場付近に位置し、駅前広場からの人の流れは東側に向かっており、西側には車両が行き交うロータリーがありました。その後の鉄道高架に伴い、1984(昭和59)年に北口広場が完成、唐津駅は現在の場所に移動し、駅前広場には鶴のオブジェと共に、鉄道整備の功労者・草場猪之吉等の功績を讃えた碑が設置されています。
 また、西唐津駅から延伸が計画されていた呼子線については、国鉄の経営の悪化により、1980(昭和55)年に工事が中止され幻の鉄道となりました。しかし、昨年発売された人気ゲームソフトの新作「桃太郎電鉄2」の中で実在しない「呼子駅」が登場し、鉄道ファンの間で話題になりました。
※この内容は令和7年11月27日佐賀新聞に掲載された「からつ今昔写真観」を加筆再構成しました。
※写真は順に
・大正末期の唐津駅の写真
・当時と同じ位置と思われる今の写真(駅構内店舗の入口付近)
・昭和35年頃の唐津駅ロータリーの写真
・今の草場猪之吉等の記念碑

【第11部】その74.今年「還暦」迎えるシンボル唐津城天守閣 唐津市のシンボルとして市民に愛されている唐津城は、「天守閣があるのが当たり前」と認識されているのではないでしょうか。この模擬天守閣が創建されるまで、天守台には一度も天守閣は造られ...
11/02/2026

【第11部】その74.今年「還暦」迎えるシンボル唐津城天守閣

 唐津市のシンボルとして市民に愛されている唐津城は、「天守閣があるのが当たり前」と認識されているのではないでしょうか。この模擬天守閣が創建されるまで、天守台には一度も天守閣は造られませんでした。 江戸幕府が1761(宝暦11)年に派遣した諸国巡見使の質疑応答のために用意された『御案内手(て)鑑(かがみ)(峯家文書)』には「天守は御座なく候。台斗(天守台)御座候。櫓(やぐら)数三十七外台斗二ケ所。」という記載があります。天守閣はなくとも本丸・二の丸・三の丸(現在の東・西・南・北城内)に37もの櫓を擁した構えは、さぞ壮観であったでしょう。 長い年月を経て「はらみ・ゆるみ」を生じた唐津城の石垣は、2008(平成20)年から16年の工期を経て再築整備されました。それに伴う発掘調査では天守台石垣の下から織豊期の旧石垣が発見され、定説の築城時期をさかのぼるなど唐津の歴史を揺るがす大発見が相次ぎました。 現在の天守閣は1966(昭和41)年に5層5階、地下1階の文化観光施設として築かれました。創建60周年の今年は、市民を挙げて唐津城の「還暦」をお祝いしたいものです。

※この内容は令和7年12月25日佐賀新聞に掲載された「からつ今昔写真観」を加筆再構成しました。

写真1「唐津名所」絵はがきの唐津公園天守台。石垣だけで天守閣はない(撮影時期不明、佐賀県立図書館データベースから)
写真2 天守閣がそびえる現在の唐津城
写真3発掘調査で確認された旧石垣(所蔵:唐津市教育委員会)

【第11部】その73.郊外の風景(その6) 昭和初期の西の浜一帯の風景、衣干山からの撮影でしょうか?右中央、岬のように見えるのは満島山、昭和41年に建てられた現在の唐津城天守閣はまだ存在しませんが、唐津城址として舞鶴公園は明治10年に開設さ...
21/09/2025

【第11部】その73.郊外の風景(その6)
 昭和初期の西の浜一帯の風景、衣干山からの撮影でしょうか?右中央、岬のように見えるのは満島山、昭和41年に建てられた現在の唐津城天守閣はまだ存在しませんが、唐津城址として舞鶴公園は明治10年に開設されています。
 唐津城は、東の浜(虹の松原)と西の浜に伸びる松原が両翼を広げた鶴のように見えることから、別名「舞鶴城」と呼ばれています。西唐津まで続く西の浜の松原は、その後、一旦消失してしまいますが、昭和の終わりから平成にかけて復元されています。
 舞鶴公園の手前の砂浜には、「唐津くんち」の御旅所があり、年に1度、11月3日に、お神輿が14台の曳山をお供に、海に里帰りをされます。
 左上、標高805.1メートルの浮岳は、背振山地の北西部に高く円錐形を描き、佐賀県と福岡県の県境に位置します。筑紫富士、松浦富士とも呼ばれ、唐津湾の向こうに浮岳が見える地域には、富士見町という地名もあります。
※この内容は令和7年5月22日佐賀新聞に掲載された「からつ今昔写真観」を加筆再構成しました。
写真は順に
①昭和初期の二タ子海岸(西の浜方面)(所蔵:唐津市)
②現在の西の浜方面(衣干山中腹から撮影)

【第11部】その72.郊外の風景(その5) 武雄市山内町を源流に唐津市中心部を貫流し、玄界灘に注ぐ松浦川は、明治中期まで市街地の川沿いに橋はなく、渡し船で対岸へ行き来をしていました。 1896(明治29)年、社会運動家で愛国婦人会の創設者・...
06/04/2025

【第11部】その72.郊外の風景(その5)
 武雄市山内町を源流に唐津市中心部を貫流し、玄界灘に注ぐ松浦川は、明治中期まで市街地の川沿いに橋はなく、渡し船で対岸へ行き来をしていました。
 1896(明治29)年、社会運動家で愛国婦人会の創設者・奥村五百子や筑肥線の祖を築いた起業家・草場猪之吉等の尽力により、現在の松浦橋の約300m下流に岸岳産木材を使った旧松浦橋が架けられ、人や馬車鉄道が行き来できるようになりました。写真では、奥の手すりがある方が歩行者用で、手前には、軌道があるように見えます。約40年後の1939(昭和14)年に5年の工期を経て、上流側に現在の松浦橋が架けられ、旧松浦橋は満島橋と改名し歩道橋としての役割を果たしました。1948(昭和23)年の大雨により満島橋が流出するまでの10年間は、新旧の松浦橋が2本並んでいました。
 九州でも屈指の川幅を持つ松浦川に架かる全長496mの威容を誇る松浦橋は、交通の要所として、また、河畔のウォーキングコースとして親しまれています。
写真キャプション
①明治34年頃の旧松浦橋(所蔵:唐津市)
②奥に架橋中の新松浦橋が写る昭和14年頃の新旧松浦橋(所蔵:唐津市)
③現在の舞鶴公園からの景色。奥が松浦橋、手前が舞鶴橋

【第11部】その71.郊外の風景(その4)冬休み自由研究号(松浦川と虹ノ松原編) あけまして、おめでとうございます。 佐賀県の地名(平凡社)にある現在の松浦川の説明では、「かつてこの川の本流は栗川とよばれ、双水より夕日山の麓、柏崎の鼻先を通...
02/01/2025

【第11部】その71.郊外の風景(その4)冬休み自由研究号(松浦川と虹ノ松原編)
 あけまして、おめでとうございます。
 佐賀県の地名(平凡社)にある現在の松浦川の説明では、「かつてこの川の本流は栗川とよばれ、双水より夕日山の麓、柏崎の鼻先を通り、宇木川・半田川を合わせ鏡山西麓の鏡神社の西側から虹の松原の中ほど(現在の二軒茶屋付近)で海に出ていた」とあります。
 また、古くは松浦川ともよばれ、神功皇后の鮎釣りの伝説(垂綸石)がある玉島川の説明では、「昔は五反田付近から鏡山の北山麓へ大きく迂回してかつての栗川と合流して唐津湾に出ていたという。」とあります。
 この川が運んできた花崗岩質の白砂が唐津湾の奥に集まった波で押し返されて、溜まることで浜堤が成長したところに、松が植林され白砂青松の虹ノ松原となりました。
 画像は順に、位置図、昭和初期の浜崎海岸、舞鶴海浜公園(共に奥が虹ノ松原)、昭和14年新松浦橋架橋(奥が現在の松浦橋)、鏡山下の船繋石、干居天満宮の案内と大木
 今年もよろしくお願いします。

9月13日イベントのご案内です
01/09/2024

9月13日イベントのご案内です

【第11部】その70.郊外の風景(その3)夏休み自由研究号(島編) 先日、田島龍太先生の地域講座の映像を見ていましたら、高島の玄武岩などの地質のお話がありましたので、地形地質の視点で写真を紹介いたします。 唐津周辺の地質は、大まかに東側が花...
01/09/2024

【第11部】その70.郊外の風景(その3)夏休み自由研究号(島編)
 先日、田島龍太先生の地域講座の映像を見ていましたら、高島の玄武岩などの地質のお話がありましたので、地形地質の視点で写真を紹介いたします。
 唐津周辺の地質は、大まかに東側が花崗岩、西側の上場台地などが玄武岩となっており、元々花崗岩の地盤に火山活動によって噴出した玄武岩のなだらかな台地が形成されています。(地質図ナビHPより)
 唐津湾周辺では、浮岳、十坊山、鳥島、佐用姫岩は白っぽい花崗岩系、立神岩は黒っぽい玄武岩(柱状節理)、鏡山、大島、高島などは、地盤が花崗岩、上の方が玄武岩となっています。
これらの玄武岩の中には、噴出する途中で捕獲したマントル上部のかんらん岩などを含むこともあるそうです。
 写真は順に
01唐津湾周辺の地質図(地質図ナビHPより)
02玄武岩系(立神岩、浜崎海岸と鏡山、高島)唐津市図書館蔵
03花崗岩系(佐用姫岩、西の浜地引網と鳥島、二タ子海岸から満島、浮岳)唐津市図書館蔵
 次回は、虹ノ松原や松浦川について紹介する予定です。

【番外編】その69.ゴールデンウィーク特集 ゴールデンウィークはいかがお過ごしでしょうか。唐津では、やきもの祭りなどの各種イベントや西の浜でキス釣りをされている方をよく見かけます。また、砂浜ではハマヒルガオが見頃となっています。やきもの祭り...
05/05/2024

【番外編】その69.ゴールデンウィーク特集
 ゴールデンウィークはいかがお過ごしでしょうか。唐津では、やきもの祭りなどの各種イベントや西の浜でキス釣りをされている方をよく見かけます。また、砂浜ではハマヒルガオが見頃となっています。やきもの祭りでは、漫画家の東村アキコ先生も来られて、からつファンであることを話されたそうです。
 今回は、昭和8年頃の横綱玉錦とSLなどの写真(個人所蔵)です。残念ながら表情は影で見えませんが、以前掲載の双葉山の前は、玉錦が常勝将軍だったそうです。SLの写真は、松露饅頭の看板が見えますので、昭和初期の軌道敷撤去の前に記念にSLが町中まで来ていたのかもしれません。つげ義春のねじ式のワンシーンみたいで、圧巻です。唐津の街並みが残っているのは、おくんちの曳山の風景があるからと聞いたことがありますが、いい所を残しながら次の世代が活用していけるように、考えていけたらと思います。
写真は順に
・玉錦
・唐津町中のSL
・舞鶴公園から新松浦橋

【第11部】その68.郊外の風景(その2) あけましておめでとうございます。前回に引き続きふるさとの思い出写真(写真提供唐津市図書館等)から戦前の唐津市郊外の写真のご紹介です。 和多田地区の現在の文化体育館の前の道は、幕政期は松浦川の堤防で...
03/01/2024

【第11部】その68.郊外の風景(その2)
 あけましておめでとうございます。前回に引き続きふるさとの思い出写真(写真提供唐津市図書館等)から戦前の唐津市郊外の写真のご紹介です。
 和多田地区の現在の文化体育館の前の道は、幕政期は松浦川の堤防で松並木が続いていました。河川敷は葦の茂る広大な水域でした。前方には今と変わらず夕日山が見られます。
 次の昭和初期の牛耕の写真は、浮岳の形から、和多田大土井付近かもしれません。昭和10年頃の神田地区の農耕作業の写真もあります。戦後の昭和30年頃から農耕機が普及し、牛馬にとって替わりました。
 その次は昭和10年頃の鏡地区の田植えの様子です。正面に古代の森やうっすらと鏡山が見えています。農作業は大変だったと思いますが、人と自然が共生していて、いい時代に見えます。
 最後は戦前の二タ子の放牛です。西の浜に松林があり、後背地の原野では牛乳生産のための乳牛が放牧されていました。とありますが、周囲の景色から写真の確証はちょっとできませんが、放牛が行われてきたことは事実です。
 今年もよろしくお願いいたします。
写真は順に
・大正初期の和多田の並木道
・昭和初期の牛耕
・昭和10年頃の神田の農耕作業
・昭和10年頃の鏡の田植え
・戦前の二タ子の放牛

【第11部】その67.郊外の風景(その1) 昭和56年発行の「ふるさとの思い出写真集明治大正昭和唐津」(写真提供唐津市図書館等)から、まちの変遷のご紹介です。 藩政期に内町と外町をつなぐ橋は、札の辻橋だけで、その下流は港でしたが、明治23年...
19/11/2023

【第11部】その67.郊外の風景(その1)
 昭和56年発行の「ふるさとの思い出写真集明治大正昭和唐津」(写真提供唐津市図書館等)から、まちの変遷のご紹介です。
 藩政期に内町と外町をつなぐ橋は、札の辻橋だけで、その下流は港でしたが、明治23年に材木町と木綿町をつなぐ、木橋(新大橋)が架けられました。写真では、荷馬車や遠くに浮岳が見えます。
 明治31年に唐津駅ができたときには、駅前広場には外濠あとの猫川がありましたが、明治29年の町田川洪水を機に、町田川改修や外濠も埋められ、水路となり暗渠化されています。写真では、お寺の屋根が見えるので、駅北口方面だと思います。
 大正12年には新大橋は現在の堅剛なアーチ橋に架け替えられ、昭和9年に千代田橋、昭和28年に中央橋が架かり、昭和30年代の写真では、今も変わらない新大橋と、当時は高島がよく見えます。
 今後引き続き、戦後すぐ頃までの唐津市郊外の写真を掲載していきたいと思います。
 写真は順に
・明治4年の唐津町絵図(お茶水窯所蔵)
・明治23年以降の新大橋
・明治末期の唐津駅猫川付近
・昭和30年代の町田川の橋(手前から新大橋、中央橋、高島)

住所

Karatsu-shi, Saga

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