27/09/2026
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黒田の絵画は不動ではなく、生成と錯乱の果てに生まれた一瞬の「沈黙」であると、フィリップ・ラクー=ラバルトが書いている。
そして突然、奇跡のようにサイクロンの〈目〉がやってくる。奇妙な静けさ(四方では嵐が荒れ狂っているのに)。青空が見え、もはや何も動こうとしない。つまり荒廃のなかの休止だ。そしてこれこそが絵画の時間、まさにそのときなのだ。
黒田の絵画は台風の〈目〉のように静まりかえっている。しかしそれはあくまで、生成と混乱のさなかに、不意に訪れた「休止」でしかない。線が「縺れた」ところに「夜」がある。しかしそれは縺れたままではない。「夜」が終わりを告げるとともに、縺れた時間が動き出し、また風が吹き始める。そこで凍った海は溶け出し、縺れた糸は解けていく。
「黒田は沈黙に乗って前へ進むKuroda est en avance sur le silence.」
マルグリット・デュラス
前へ進むために黒田は観者に罠を仕掛け、その罠は黒田自身も逃がさない。罠にかかった沈黙のなかで、黒田は息をひそめ、観者はもがき、自身の罠から黒田がもがき出るのを、両者ともども息を殺して待っている。息を殺す、その沈黙が、黒田の作品のはりつめた祝祭である。わたしたちはいつかモダニズムを乗り越えるだろう。
大阪大学大学院
文学研究科
博士課程後期
単位取得退学
YUICHI MORI