さんべ縄文の森ミュージアム・三瓶小豆原埋没林

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さんべ縄文の森ミュージアム・三瓶小豆原埋没林 地底に縄文時代の巨木そびえる奇跡の森、三瓶小豆原埋没林

16/10/2026

2026年10月16日、昼過ぎに緊急地震速報が発表され、直後に「大地震」は誤報として取り消されました。

実際に発生した地震は震源が極めて深く、マグニチュード6.9、日本で観測された震度は1程度でした。速報時に推定されたマグニチュードは9.9という想像を絶する規模で、実際にこの規模が発生したら何が起きていたのか誰にも予想できないほどのものでした。

過去に観測された最大の地震は1960年のチリ沖地震でマグニチュード9.5。東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)のM9.0の規模に対して5.6倍という超巨大地震で、地球上で起こりうる地震規模の上限に近いと言われるものです。

チリ沖地震で発生した津波は地球を半周して日本列島に到達して大きな被害をもたらしました。三陸海岸では波高6mを超えた場所もあったということです。M9.9はその地震規模を大きく超えるもので、もしも実際に発生したら強い揺れの範囲が広域に及び、さらに海底が震源の場合は高確率で超巨大津波が発生するのでしょう。誤計算でしたが、はじき出されたこの数字を見た人は絶望的な気持ちで速報を発したのではないかと想像します。

自然現象はしばしば人の予想を超える事態を引き起こし、その都度、防災へのレベルアップが図られてきた歴史があります。今回は誤報でしたが、高精度の災害予測が実現するための「プラス材料」になることを期待し、同時に叶うことなら超巨大地震が起きないことを願うばかりです。

【石見の火山が伝える悠久の歴史㊱】●古代からの灯台か? ~波根の立神岩~ 山陰本線で大田方面から波根駅を過ぎると間もなく、左手に濃淡の縞模様が海の側へ緩く傾いて見える崖が迫ります。立神岩です。 この光景は若き日の芥川龍之介も目にしています。...
15/10/2026

【石見の火山が伝える悠久の歴史㊱】
●古代からの灯台か? ~波根の立神岩~

 山陰本線で大田方面から波根駅を過ぎると間もなく、左手に濃淡の縞模様が海の側へ緩く傾いて見える崖が迫ります。立神岩です。

 この光景は若き日の芥川龍之介も目にしています。友人の井川恭に誘われて島根を訪れた芥川は二人で波根に立ち寄っています。旅館に泊まり海で遊び掛戸のあたりまで散策したことが井川の書に残っています。

 波根の海に遊んだ二人はしきりに「いいね」とくり返したことが記されており、立神岩から弧を描く遠浅の浜の夕暮れは印象的だったようです。

 立神岩は岬状に突き出した岩とそれを切り取ったような形の島、そしてその岩肌に露出する地層の紋様が特徴です。色の濃い部分が礫岩、淡い色は火山灰が堆積した凝灰岩と砂岩が重なり縞模様を描きます。太古の川と火山が地層を作り、波の力が削ったことで生まれた景観です。

 立神岩の上には灯台が立ち船に合図を送っています。九州では港の目印になる特徴的な形の岩に立神岩の名が付いたものがいくつかあるということで、もしかしたらここも同じ意味合いがあったのかも知れません。立神岩の西にはかつて波根湖という湖があり、その湖岸に大きな港を意味する大津の地名があります。古い時代には湖が港として使われたと考えられており、立神岩は昔も灯台の役割を果たしていたのかも知れません。

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日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史~“縄文の森”“銀の山”と出逢える旅へ~」は、縄文の森(三瓶小豆原埋没林)と石見銀山を核に、大田市の歴史文化をつなぐストーリーです。

【石見の火山が伝える悠久の歴史㉟】●天然記念物の樹木化石 ~波根西の珪化木~ 太い柱のような岩が波打ち際の崖から海底に斜めに伸び、波に洗われる。その岩は樹木の姿をしながらも木ではなく、ずっと昔からその場所にあり続けている。 波根西の珪化木は...
09/10/2026

【石見の火山が伝える悠久の歴史㉟】
●天然記念物の樹木化石 ~波根西の珪化木~

 太い柱のような岩が波打ち際の崖から海底に斜めに伸び、波に洗われる。その岩は樹木の姿をしながらも木ではなく、ずっと昔からその場所にあり続けている。

 波根西の珪化木は大きな樹木化石で、海岸に露出する姿が周囲の景観と合わせて実に印象的です。木はおよそ1500万年前の火山噴火で地中に埋もれ、地下で石に変わる作用を受けて木の姿を残したまま、岩石の成分にすっかり置き換えられています。

 1500万年前は日本列島形成の大地殻変動の時代。この木が生きていた大地は今の地形とは全く違います。どこかで火山の噴火があり、土砂の流れが木々をなぎ倒して地中に埋めました。そこに温泉水がもたらした岩石の成分「二酸化ケイ素」が作用して、木を石に変えたのです。

 波根西の珪化木周辺には大きな珪化木が多数あり、岩盤の中から波によって洗い出されて海底に転がっているものがいくつも見つかります。ここは国の天然記念物に指定されていますが、海面上に見えているものだけでなく珪化木が集中する周辺の海域も含めて指定されています。

 波根西の珪化木から西へ15分ほど歩いた場所に久手漁港があり、昭和のはじめに漁港が整備された時には海底から何本もの珪化木が引き上げられたそうです。その中でも大きなものが久手小学校の玄関前に置かれています。ほかにも久手町内ではしばしば珪化木が置かれていて、探してみると面白いかも知れません。

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日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史~“縄文の森”“銀の山”と出逢える旅へ~」は、縄文の森(三瓶小豆原埋没林)と石見銀山を核に、大田市の歴史文化をつなぐストーリーです。

【石見の火山が伝える悠久の歴史㉞】●鳴砂の起源 ~琴ヶ浜の砂はどこから来た?~ 国の天然記念物であり、日本遺産の構成文化財である琴ヶ浜。音を奏でる砂は一体どこから来たのでしょう。 今の地形を見ると、半円形の湾の岸に浜が広がり、湾の両側は岬で...
03/10/2026

【石見の火山が伝える悠久の歴史㉞】
●鳴砂の起源 ~琴ヶ浜の砂はどこから来た?~

 国の天然記念物であり、日本遺産の構成文化財である琴ヶ浜。音を奏でる砂は一体どこから来たのでしょう。

 今の地形を見ると、半円形の湾の岸に浜が広がり、湾の両側は岬で隔てられ、湾に流れる川はごく小さく、砂が運ばれてくる経路がなさそうです。

 この疑問の答えを探るには、現在の地形だけを見ていると行き詰まってしまいます。どうやら、地質時代のタイムスケールで過去の地形変化と、その変化に応じて複雑に動く砂の性質が関係しているようです。

 琴ヶ浜の砂は石英という鉱物の粒が70%以上です。石英は岩石を作る鉱物の代表格で、多くの岩石に含まれています。特に中国地方の山間部を中心に広く分布する花崗岩と流紋岩は石英を多く含み、供給源として有力な候補です。

 琴ヶ浜の砂は中国山地からやってきた。

 この仮説は成り立つのでしょうか。今の地形では無理です。しかし、およそ200万年前にさかのぼると、中国山地の山間部から琴ヶ浜付近に砂が運ばれたかも知れません。その証拠となるのが、温泉津町から大代町にかけての内陸側の標高300m付近にある厚い砂の地層です。その時代には、現在より内陸に海岸線があり、そこには中国山地から運ばれた土砂が堆積していました。この時代に堆積した砂が、琴ヶ浜にあっても不思議ではありません。

 琴ヶ浜の砂は、長い大地の時間の中で移動をくり返しながら今の場所に留まっているのでしょう。それも地球の時間の中では一瞬の出来事なのかも知れません。

写真1:琴ヶ浜海岸でガラス玉を使って撮影
写真2:波に洗われる琴ヶ浜の砂
写真3:砂を採っている三つ子山鉱山(温泉津町井田)

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日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史~“縄文の森”“銀の山”と出逢える旅へ~」は、縄文の森(三瓶小豆原埋没林)と石見銀山を核に、大田市の歴史文化をつなぐストーリーです。

【縄文の森の戦い(下)】 三瓶小豆原埋没林を発掘の現地で保存展示する。これは“壮大な実験”でした。 当初は、立木を根元近くまで掘り、ポリエチレングリコール(PEG)の溶液をシャワーすることでしみ込ませて保存の処理を行う計画でした。三瓶自然館...
01/10/2026

【縄文の森の戦い(下)】

 三瓶小豆原埋没林を発掘の現地で保存展示する。これは“壮大な実験”でした。

 当初は、立木を根元近くまで掘り、ポリエチレングリコール(PEG)の溶液をシャワーすることでしみ込ませて保存の処理を行う計画でした。三瓶自然館のシステムを応用した装置が設置されて、公開しながらの処理が開始されましたが、すぐに壁にあたってしまいました。最大の問題は地下水です。地下の展示空間は一見すると普通の地下室に見えますが、立木の根は地中につながっており、根を伝って地下水が上昇します。地下水量が多い時には床面に流れ出し、少なくても根の内部にしみ込んだ水が毛管現象で幹に上がってきます。これではPEGの効果が期待できません。地下水にしみ出してしまう心配もありました。

 立木を乾燥させることができないことは、PEGによる処理ができないだけでなく、カビやキノコが木材を腐らせてしまう危険性があります。乾燥させたいが、地中とつながっている限り地下水との接触を断つことは不可能。この状態で木を腐らせずに維持するという、難しい問題を背負い、試行錯誤をくり返しながらの展示が続けられています。

写真:縄文の森の展示室。「なま」の状態で残っていた埋もれ木の現地展示はさまざまな課題がつきまとう。

(保存処理工事のお知らせ)
2026年10月から2027年3月までの期間、保存処理工事のため立木の展示が見えにくい状態になります。12月末までは1本、1月~3月初めは2本、3月初め~3月中旬までは1本が保護シートに覆われた状態になります。

【縄文の森の戦い(上)】 三瓶小豆原埋没林は地下から出土した縄文時代の森です。地中に埋もれた木が4000年もの時間を超えて残ったのは、地下水の中で空気にふれない「缶詰」状態だったためです。 缶詰は2、3年置いておいても中身はほとんど変化しま...
26/09/2026

【縄文の森の戦い(上)】

 三瓶小豆原埋没林は地下から出土した縄文時代の森です。地中に埋もれた木が4000年もの時間を超えて残ったのは、地下水の中で空気にふれない「缶詰」状態だったためです。

 缶詰は2、3年置いておいても中身はほとんど変化しませんが、封を開けると生の食品と同じように傷み始めます。埋没林も同じ。掘り出して空気にさらされると劣化が始まります。

 地中に埋もれていた木を掘り出した時、最初の難関は乾燥。地中では水によって守られていましたが、この水が乾燥する時に木の細胞をひとつひとつ壊してしまい、極端に縮んで割れやねじれが生じてしまいます。木の種類によっては体積が3分の1以下に縮んでしまい、もとの形はすっかり失われてしまうことが珍しくありません。

 掘り出した木にとっての障壁となる乾燥ですが、一般的な展示では乾燥させることが必要になります。遺跡で出土した木製の道具類は、水を含んだ状態で木の中に何らかの物質を浸透させて乾燥による変形を防ぐ処理が行われます。

 三瓶小豆原埋没林では、掘り出した3本の埋没木にポリエチレングリコール(PEG)という高分子の有機化合物をしみ込ませる処理が行われました。穴を掘って作った仮設プールにPEGを溶かした水をためて、そこに木をつけたのです。そして、三瓶自然館の展示室に設置してからもシャワー方式でPEGの溶液を噴霧してしみ込ませる作業を行い、数年かけて保存のための処理を行いました。これらの作業は大がかりな大変なものでしたが、その後20年が経過しても掘り出した3本は安定しており、最初の戦いは勝利したようです。

写真:三瓶自然館の展示室に設置されたシャワー装置で、保存用のポリエチレングリコール液を散布している様子(2004年)

**************** 保存処理工事のお知らせ ****************

2026年10月から2027年3月までの期間、保存処理工事のため立木の展示が見えにくい状態になります。12月末までは1本、1月~3月初めは2本、3月初め~3月中旬までは1本が保護シートに覆われた状態になります。

【石見の火山が伝える悠久の歴史㉝】●国造り神話の比定地 ~静間町の静之窟~「大汝少彦名のいましけむ志都の石室は幾代経にけむ」 万葉集にあるこの歌は、オオナムチ(オオクニヌシ)とスクナヒコが国造りの前に籠もった志都の石室を歌ったもので、その石...
22/09/2026

【石見の火山が伝える悠久の歴史㉝】
●国造り神話の比定地 ~静間町の静之窟~

「大汝少彦名のいましけむ志都の石室は幾代経にけむ」

 万葉集にあるこの歌は、オオナムチ(オオクニヌシ)とスクナヒコが国造りの前に籠もった志都の石室を歌ったもので、その石室とされる場所のひとつが静間町の魚津海岸にある静之窟(しずのいわや。しずがいわやともいう)です。

 魚津は海岸の斜面に這うように小さな集落があり、家の間を抜けると狭い浜に出ます。浜の脇にある崖に洞窟が開口しており、入口には鳥居が立っています。ここが静之窟です。

 洞窟の入口はあまり広くないものの、中をのぞき込むとかなり広い空間になっています。島根県では出雲市の猪目洞窟や松江市の権現山洞窟、サルガ鼻洞窟で縄文時代、弥生時代の生活の痕跡が見つかっていますが、静之窟でも原始の頃には何人もの人が暮らしていたのではないかと思われる広さです。

 あらためて洞窟の入口を見ると、崖に露出した岩は縦横違うものが入り交じっているように見えます。ここは礫岩の地層と火山噴火による角礫岩の地層が断層で接して境目が乱れているのです。このことは大きな洞窟の成因に直結します。

 打ち寄せる波は岩盤を少しずつ削ります。断層によって一旦破壊された部分はもろいため、そこは波の浸食が早く進み、ついには洞窟になるのです。洞窟の中に入り込んだ波はさらに内部を削り、広く高い空間を作りました。

 現在、内部は落石の恐れがあるため立ち入りが禁止されていますが、たまった砂を取り除いて丁寧に調査したら何か発見がありそうな、そんな洞窟です。

写真1:静之窟全景
写真2:左側の入口に建てられている鳥居
写真3:静之窟前からみた「獅子岩」

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日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史~“縄文の森”“銀の山”と出逢える旅へ~」は、縄文の森(三瓶小豆原埋没林)と石見銀山を核に、大田市の歴史文化をつなぐストーリーです。

【石見の火山が伝える悠久の歴史(番外編)】●大地の謎を解く ~石見から始まった日本列島形成論④~ 江の川流域の火山岩類から始まった古地磁気の研究から、1500万年前を境に日本列島の東西で別の向きに古地磁気が傾いていることが明らかになりました...
13/09/2026

【石見の火山が伝える悠久の歴史(番外編)】
●大地の謎を解く ~石見から始まった日本列島形成論④~

 江の川流域の火山岩類から始まった古地磁気の研究から、1500万年前を境に日本列島の東西で別の向きに古地磁気が傾いていることが明らかになりました。その原因が大きな謎の解明につながりそうです。

 60度のずれを戻すように回転させると、西日本と東日本がほぼ直線になります。1500万年前に東西が別々の向きに回転して現在の位置に移動したという仮説が成り立ちそうです。それでは、その動きはどうすれば説明できるのでしょうか。それは日本海の拡大を考えると良さそうです。

 それまで日本海の形成はそこが陥没してできたという説が有力でした。陥没であれば、日本海の海底には大陸の地盤があるはずです。海底の調査が進んで明らかになったことは、日本海の海底は太平洋とよく似た岩石で構成された海洋型の地盤であることでした。日本海は大陸の端が陥没してできた単純な沿海ではなく、小さな海洋なのです。これは、日本海が火山活動とともに拡大したことを意味します。

 1500万年前、日本海が拡大して、その動きで東西の日本列島の基盤となる大地が両開きの扉を開くように回転して日本列島が形成された。鍵となる要素をつなぎ合わせると、それまで誰も想像しなかった日本列島の形成論が生まれたのです。この説は斬新で、にわかには受け入れられませんでした。しかし、研究が進むほどに日本列島回転説は受け入れられるようになったのでした。

 高校時代に三瓶山で野外を観察する目を培った松田高明さんが日本列島形成の謎を解く大きな研究成果を残した。島根県民にとっても誇るべき業績です。(了)

図:日本列島の形成イメージ。日本列島の拡大によって両開きの扉が開くように大地が動いて今の形になった。現在の日本列島を東西に切った形で示しているが、実際には全く異なる形で、拓きつつあった日本海の海底で堆積した地層も現在は陸上に広く露出している。

【石見の火山が伝える悠久の歴史(番外編)】●大地の謎を解く ~石見から始まった日本列島形成論③~ 江の川流域で採取した岩石に残された目に見えない方位磁石の方向を読む。この作業を進めていくと、大きな傾向が見えてきました。 中生代から新生代新第...
13/09/2026

【石見の火山が伝える悠久の歴史(番外編)】
●大地の謎を解く ~石見から始まった日本列島形成論③~

 江の川流域で採取した岩石に残された目に見えない方位磁石の方向を読む。この作業を進めていくと、大きな傾向が見えてきました。

 中生代から新生代新第三紀の前半、おおむね1億年前から1500万年前頃までの岩石から得られた過去の磁場の方向、すなわち古地磁気は南北が60度ほど東に傾いていましたのです。ところが、1500万年前より新しい岩石は現在と同じ方向を示し、1500万年前に何かの事件が起きたことが想像されました。それが地球磁場の変化なのか、大地の変化なのか、はじめは分かりませんでした。

 他の地域ではどうか。

 ひとつの地域から得られた情報だけでは60度の謎は解けそうにありません。そこで、大きく離れた東北地方で同じ研究を行いました。その結果は驚くものでした。同じ1500万年前を境に、古い時代の岩石が示す古地磁気は江の川流域とは反対に西に60度ほど傾いていたのです。この時代に西日本と東日本で大地が別の動きをしたことが推定されました。

 1500万年前という年代は、日本列島の形成において重要な時代を示すことはそれまでにも知られていました。この時代の海底火山が作った地層が広く分布しており、「グリーンタフ」と呼ばれて日本列島の大地を特徴づけるものなのです。1500万年前に大規模な海底火山活動をともなう大地殻変動があったらしい。古地磁気はそれを示していました。(つづく)

図:1500万年前より古い時代の火山岩類が示す古地磁気の方向。西日本と東日本で違う向きを示す理由は?

【石見の火山が伝える悠久の歴史(番外編)】●大地の謎を解く ~石見から始まった日本列島形成論②~ 日本列島形成の謎を解いた研究は江の川流域の岩石から始まりました。そこには中生代から新生代の火山活動でできた岩石が分布しています。この岩石に残さ...
13/09/2026

【石見の火山が伝える悠久の歴史(番外編)】
●大地の謎を解く ~石見から始まった日本列島形成論②~

 日本列島形成の謎を解いた研究は江の川流域の岩石から始まりました。そこには中生代から新生代の火山活動でできた岩石が分布しています。この岩石に残されている過去の地球磁場の記録を読み取る研究を行ったのです。地球磁場の解析は共同研究者の乙藤洋一郎さんの研究でした。

 過去の地球磁場とは馴染みがないものです。方位磁石が南北を示すことで、地球が磁石の性質を持つことに気づくことはできます。岩石の中に、過去の磁場の方向に合わせて磁性を帯びた鉱物が含まれており、その向きを調べることでその岩石ができた時代の磁場の方向を知ることができます。地球磁場の向きは常に変化していて、時には南北がくるっと入れ替わることがあり、その記録が大地の変化を知る手がかりになります。

 火山でできた火山岩(溶岩が固まったもの)や、溶結凝灰岩(高温のまま堆積した火山灰が固まったもの)は、それができた時の磁場の方向を記録しています。高温から温度が下がる時、中に含まれる磁性鉱物の磁性の向きが地球磁場に応じて固定されます。高温の時はくるくると回っていた方位磁石が、温度が下がるとぴたっと止まって動かなくなるイメージです。精度が高い磁力計を使うことでその方向を知ることができます。

 松田さんたちは江の川流域を歩いて岩石を採取して、その石の目に見えない方位磁石の方向を読み取っていったのです。(つづく)

写真:江の川の支流、濁川の断魚渓(邑南町)。この岩石は4000万年ほど前の溶岩が冷えて固まった流紋岩。この岩石が示す古地磁気の方向は?

住所

三瓶町多根ロ58/2
Oda-shi, Shimane
694-0003

営業時間

月曜日 09:00 - 17:00
水曜日 09:00 - 17:00
木曜日 09:00 - 17:00
金曜日 09:00 - 17:00
土曜日 09:00 - 17:00
日曜日 09:00 - 17:00

電話番号

0854-86-9500

アラート

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